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本当によく生きたね

執筆者の写真: 柴田 玲子
柴田 玲子
3 日前
読了時間: 6分

母が逝ってしまいました。

お母ちゃんは生前、「私の人生は一冊の本になるよ」と言っていた。

その時はただ、「そうなんだ」と思って聞いていたけれど、亡くなった今こうして思い返してみると

本当にその通りだったなと思います。

今になって、その意味をか嚙みしめています。


樺太で生まれて

戦争で故郷を失って

財産もをすべて失った。


現地でお母ちゃん自身のお母さんをなくしている話もしてくれました。

亡骸を火葬する光景を直接見たことも覚えていることを話してくれたこともあったね。

今思うと子供が見るにはあまりにもつらい光景だっただろうと思います。


戦後

着るもの以外は何も持たず

引きあげてからの苦労は半端なく。

むしろ、そこからの人生は過酷な人生の幕開けのように思えます。

末っ子だったお母ちやんは、兄弟の家を父親と共に渡り歩き

優しい兄弟もいたけれど、そうではないこともあった。

みんなが貧しい時代だったことが背景にあったのだとしても

お母ちやんの心と體に大きな傷跡をを残しました。


長男からの虐待。

今の時代なら犯罪のレベルだね。

このことを話す母の表情は、悲しみ、苦しみ、憎しみ、失望、長年にわたり恐らく

許すことのできない出来事のひとつだ。(晩年において長男からの謝罪があったと聞いている)

墨小屋で寝起きしていたこともあった。

朝起きると布団の上に雪が積もっていたこともあったこと、まるで誰かの

物語のように語っていました。

それでも、大好きなちゃっちゃ(父親のこと)がいたから頑張れた。

今、その話を思いだすと胸の奥が痛いです。

その頃のお母ちゃんはまだ、子供だったのに。

17歳前後で父親が亡くなるまでそんな日々を生きていた。


ちゃっちゃ(父親)がなくなった後

二番目の兄夫婦のところで暮らすことになってからは

一生懸命働いた。

肉体労働。小さな体で、男の人にびっくりされるほどの力仕事をしたんだよね。

丈夫な肉体はそのころに作られたものだった。(火葬場の人が、高齢にもかかわらず骨がしっかりと残っていますと言っていた)


お給金はすべて義理の姉に渡して自分はその中からおこずかいをもらう生活が

何年も続いた。

今なら理不尽だと思うことも、お母ちやんは当たり前のように受け入れて

耐えながら生きていたんだね。

そして結婚して。

ようやく自分の家庭を持ったと思ったら

今度は炭鉱夫だった夫を落盤事故で亡くしてしまう。

亡骸に駆け寄ろうとしたら、周りの人に止められたこと。「遺体の損傷が激しかったから、周りの人が止めたんだよ。見るんじゃないって・・・」と他人事のように語ってた。


まだ小さな息子たちを抱えながら未亡人になった。

悲しかっただろう。。

どれほどの不安を抱えていたんだろう。

どれほど苦しかっただろう。

先の見えない苦悩は計り知れない。。

それでもお母ちやんは頑張った。

そしてお父ちゃんと出会って、再婚して私と妹を産んでくれた。


だけど人生の苦難はそこで終わらなかったね。

今度は新しい家族の物語が始まった。


お父ちゃんがいて、お母ちゃんがいて、兄たちがいて、私と妹がいて

いろいろな出来事があった。

喜びも、悲しみも、心配もあった。

ぶつかり合いも、

決して順風満帆とはいかなかった。

私も、その登場人物のひとりだった。


だから、わたしには、楽しい思い出は少なく

苦しかった思い出の方が色濃く残っています。

お母ちゃんの激しさに傷ついたこともありました。

喧嘩もした。取っ組み合いの激しいのもあった。

困らされたこと、いっぱいあった。


なんでそんなに怒るんだろう。

なんでそんなに激しいのだろう。

何でこんなことを何度も繰り返すのだろう。

いい加減にしてよ!って。


ほかのお母さんとは違うなと思ったことは隠しきれません。

でも今、そのすべてが愛おしさに変わりつつある。

人の「死」とは不思議なものです。


そして今、お母ちゃんの人生全体を振り返ると、少し見え方が変わってきます。

正直に言えば、

精神的に不安定になってもおかしくないし、よく生きてきたと思う。

精神が壊れたことも、理解できない行動も、お母ちやんからしたら

生きるための、必死な足搔きだったのかもしれない。

今はそんなふうに思います。

あの激しさは、お母ちゃんの弱さではなく逆だったのかもしれない。

生きるための力だったのかもしれない。


何も持たずにに放り出された人生の中で、命をつないできた力だったのかもしれない。

わたしは長い間、その力に反発していた。


そして今、後悔もあります。

わたしは、親孝行をしていません。

もっと優しくできたかもしれない。

もっと話を聞けたかもしれない。

もっとお母ちゃんの人生を知ろうとすることができたかもしれない。

もっと感謝を伝えられたかもしれない。

そんな思いがあります。

数え切れないほどの思いが、次から次へと涙とともに溢れてきます。


お母ちゃんが生きているうちに、今の私のようにお母ちゃんの人生を見つめることが

できていたらよかったのにね。


ごめんね。


だけど、いまこうしてお母ちゃんの人生を振り返りながら思います。


「本当によく生きたね」って


もし人生のシナリオを、生まれる前に自分で決めてくるのだとしたら

お母ちゃんはずいぶんと大変なシナリオを描いてきたんだね。


戦争。

喪失。

貧しさ。

別れ。

孤独。

そしてたくさんの試練。


お母ちやんのすごかった所は


その人生を途中で投げ出さなかった。

何度も立ち上がって、何度も歩き出した。

88年という長い人生を最後まで生き切った。


わたしは、今、

「ああ、本当にやり切ったんだな」

そんな気持ちになっています。


そして、わたしは、そんなお母ちゃんを母として選んで生まれてきました。


もしそれもまた、魂の約束だったのなら、わたしもお母ちゃんの人生から

何かを学ぶため、私自身のシナリオに組み込んでいるのでしょう。


お母ちゃんの強さも。

悲しみも。

激しさも。

優しさも。

不器用さも。

全部含めて。

まだ答えははっきりとは出ていません。

だけど、その答えを探していくことも私の人生の課題の一つなんだと思います。


ふと思う

もう、聞けないんだなぁって

二度と聞けない。

お母ちゃんの波乱の人生の実話。


もういないんだと思うと、たまらなく悲しい。

けど、肉体に蓄積されたトラウマからやっと開放されて楽になったんだなとも思う。


それでもね、やっぱり寂しい。。。

お母ちゃん・・会いたいです。

今、心から思うのは。


お母ちゃん

すごい人生だったね。

本当に色々あったね。

本当に大変だったね。

そして


「本当によく生きたね!」


88年の人生、本当にお疲れ様でした。


ゆっくり休んでね。

また逢う日まで。

          あなたの娘より
















 
 
 

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