魂癖と影癖

私たちは皆、生まれながらにして固有の質を持っている。

私はそれを「魂癖」と表現してしています。
一方で、人生を歩む過程で、家庭環境、学校、人間関係、社会とのかかわりの中で
身に着けていく反応パターンがあります。
それを私は「影癖」と呼んで表現する時の言葉として使います。
人生とは、魂癖の上に影癖が重なっていく経験の旅なのかもしれません。
魂癖とは
魂癖とは生まれ持った魂の傾向のことを言います。
性格よりも深く、環境によって作られたものではない。
例えば
・深く考える
・一人の時間を好む
・真理を探究したくなる
・意味なく惹かれる感覚がある
・人の感情を敏感に察知する
・枠組みに説明の利かない違和感を覚える
などなど、意味づけがしずらい感覚のこと
こうした傾向は、幼少期から一貫して現れることが多いです。
魂癖は克服するものではなく、自分自身の人生を歩むための設計図です。
影癖とは
影癖とは、人生経験によって形成された反応パターンです。
これは本来の自分ではなく、「生き延びるために身につけた知恵」とも言えます。
例えば
・嫌われないように振る舞う
・本音を隠す
・過剰に気を遣う
・自分を小さく見せる
・期待に応え続ける
これらは、多くの場合過去の経験から生まれている。
傷ついた経験が影となり「癖」として定着したものです。
魂癖と影癖は混同しやすい
多くの人は、魂癖なのか影癖なのか区別できていません。
例えば
「私は人が苦手です」
という言葉一つとっても、魂癖として静かな時間を好むのか
それとも、過去に傷ついた影響で人を避けているのか
この二つは全く違う。
影癖は手放せる
魂癖は変える必要はありません。
しかし、影癖は本質ではなく適応だったことに気づいたのならどうでしょう
変える事ができます。
だからといって、影癖を否定する必要はありません。
それは、過去の自分を守ってくれていた大切な知恵だから。
色々な経験の中で関わりの中で、身についたことは、自分の成長のための
出来事の一つとして。
ただ今の自分に必要がなくなったものならば、感謝を持って手放せばいいのです。
魂癖を生きる
人生の成熟とは、
影癖を増やすことではなく、魂癖へ還ることなのかもしれない。
人の期待よりも、魂の声を聞く。
世間の正解よりも、自分の本質に従う
影癖を一枚ずつ脱ぎながら、持って生まれた魂癖を生き始める。
そこから、本当の意味での自分の人生が始まるように設定してあるのかもしれません。
~影は悪者ではなく「光があるからこそ生まれるもの」~by・kizuki



コメント